さだまさしさんの「AIに哲学はない」という発言が話題になっていた。
この一言だけを見ると、かなり強い。
AIが作ったものには哲学がない。
人間が作ったものには哲学がある。
そういう単純な対立のようにも見える。
ただ、元になった記者会見をもう少し長く聞いてみると、私には少し違った話に聞こえた。
そもそも、さださんが聞かれていたのは「AIで音楽を作ることについてどう思いますか」という質問ではない。
質問は、ざっくり言えばこうだった。
生演奏からパソコンでの打ち込みやAIを使った音楽制作へと変化し、音楽を作るハードルが下がっている。
そのような時代に、音楽の価値や、音楽家としての意味・価値はどう変化していくのか。
これに対して、さださんはまずこう答える。
「AIに音楽を作らせますとね、結構いいの作るんですよ。ただそこに哲学はない」
その後、自身がもともとバイオリンを弾いていたこと、人間の出す音が好きであること、現在のレコーディングでもコンピューターは使うものの、「コンピューター任せの音作り」はしないことを語っている。
ここだけなら、単純に「生演奏が好きな人なんだな」で終わるかもしれない。
しかし、もう少し先まで聞くと、さださんの言う「哲学」がなんとなく見えてくる。
「たまたま当たる」と「同じところを見続ける」
途中、さださんはブラームスの言葉を引きながら、音楽作品を作ることを「神様との対話」と表現する。
このあたりは、かなり個人的な創作観だと思う。
「人間が作る音が好き」というのもそうだ。
私はここを、AIについての一般的な証明として受け取る必要はないと思っている。
ただ、そのあとに出てくる言葉は気になった。
「例えば偶然良いものはできると思います。コンピューターに任せても。
ただ、そのクオリティを守り続けるっていうのはとても無理だと思います。
たまたま当たることはあっても、それをずっと同じところを見てやっていくっていうのは人間にしかできないと思います」
ここで言われている「哲学」は、辞書に載っているような大きな意味での哲学というより、
自分は何を良いと思うのか。
どの方向へ作品を作っていきたいのか。
何を守り続けたいのか。
そういう、創作者なりの基準やこだわり。
いわゆる「仕事の流儀」のようなものに近いのではないか。
少なくとも私は、そう聞いた。
AIが一度、とても良いものを出すことはあるかもしれない。
しかし、その出力を見て、
「これは自分が作りたいものではない」
「ここは残したい」
「もっとこっちへ寄せたい」
と判断し続けることは、また別の仕事である。
そのうえで、ここで一つの区別をしておきたい。
今回の質問は、一般の人がAIを使って音楽生成を楽しむことの是非を問うものではない。
「音楽家としての意味や価値」が問われ、それに一人の職業音楽家が答えている。
そう考えると、「たまたま当たること」と「同じところを見てやっていくこと」の対比は、AIそのものへの評価というより、むしろ音楽家は何を仕事としているのかという話として読むこともできる。
一度いいものを作るだけではなく、自分なりの基準を持ち、作品を選び、磨き、同じ方向を見ながら作り続ける。
その継続的な判断まで含めて、音楽家の仕事なのではないか。
歌は「何かを伝える」もの
さらに、さださんは自身が歌手であることに触れて、こう続けている。
「歌で何かを伝えるっていうのは、言葉が非常に重要になってくるんですね」
そして、
「言葉を伝えるっていうことは、そこに哲学がなければつまらないですし、文学も必要になってくる」
と語る。
ここも面白い。
音楽を単に「音を並べたもの」としてではなく、特に歌については、何かを誰かに伝える表現として捉えている。
そう考えると、私には一つ素朴な疑問が浮かぶ。
なぜ、AIを使って音楽を作るときに、人間が介在する必要があるのだろう。
かなり乱暴に言えば、
その音楽を聴くのが人間だからではないか。
と思う。
人間が聴いて、
悲しいと思う。
懐かしいと思う。
かっこいいと思う。
なんだか分からないけれど心に残る。
少なくとも今、私たちが音楽を語るとき、その受け手は基本的に人間である。
ならば、人間に何かを伝えようとする作品について、
「何を伝えたいのか」
「これで伝わるのか」
「この表現を選ぶのか」
を人間が判断することには、やはり意味がある。
「人間が作る」と「人間がイニシアチブを持つ」は違う
ここで、さださんは一度こう断っている。
「すいません。質問からそれちゃったんですけど」
そして、元の質問に戻ってこう答える。
「AIと共同作業でいいものが作っていけるようになると信じてます。
でもイニシアチブは人間が持ってないとダメだと思います」
私は、この結論が一番しっくりきた。
重要なのは、さださん自身もコンピューターを使っていることである。
つまり、
コンピューターを使うな
と言っているわけではない。
問題にしているのは、
コンピューター任せにするな
ということなのだと思う。
ここは、かなり大きな違いである。
AIに曲を作らせてもいい。
編曲を手伝わせてもいい。
歌わせてもいい。
しかし、何を作りたいのかを決め、出てきたものを選び、修正し、最終的に作品として世に出すかどうかを判断する。
そこまで全部を機械任せにしてしまったとき、人間は作品のどこにいるのだろう。
「イニシアチブは人間が持つ」という言葉は、私にはそういう話に聞こえた。
初音ミクは、人間にできないことをやってきた
ここで少しだけ、AIより前に現れた人間と機械をつなぐ存在の話をしたい。
ボーカロイド・初音ミクである。
人間がイニシアチブを持つというと、
「人間にしかできないことを守らなければいけない」
という話にも見える。
でも、私はそうではないと思う。
初音ミクは、ずいぶん前から人間には簡単にできない歌を歌ってきた。
「メルト」の高音。
「初音ミクの消失」の高速歌唱。
人間が歌えるかどうかという基準から外れたところに、ボーカロイドだからこそ成立する表現が生まれた。
それでも、そこに価値を見出したのは人間だった。
曲を書いたのも人間。
「この声にこう歌わせたい」と決めたのも人間。
聴いて面白いと思ったのも人間。
つまり、
人間がイニシアチブを持つことと、人間にできることだけをやることは、まったく同じではない。
むしろ、
人間が何を表現したいかを決め、そのためなら人間にはできないことまで機械にやってもらう。
それも人間主導の創作なのだと思う。
AIはいいものを作る。だからこそ、任せきらない
さださんは、AIについて否定から入ってはいない。
むしろ最初から、
「結構いいの作るんですよ」
と言っている。
そして最後には、AIとの共同作業でいいものを作っていく未来を肯定している。
そう考えると、話の筋は意外と一貫している。
AIはいいものを作れる。
だから使えばいい。
ただし、出てきたものに身を委ねるのではなく、人間が方向を決める。
何を良しとするのか。
何を伝えたいのか。
どこへ向かって作り続けたいのか。
その判断までコンピューター任せにしない。
これが、さださんの言う「イニシアチブ」なのではないだろうか。
後半では、AIと知的財産権の問題にも触れている。
AIがどこから何を参照しているのかという技術的な部分については、もう少し整理が必要だと思う。
ただ、知的財産権を曖昧にするかどうかも、最終的には利用する人間の側の問題だ、という方向性については納得できる。
何を作らせるのか。
何を採用するのか。
それを公開してよいのか。
誰かの権利を侵害していないか。
AIとの共同作業が増えるほど、むしろ人間が判断しなければならないことは増えるのかもしれない。
「AIに哲学はない」のその先
「AIに哲学はない」。
この一言だけなら、私はまだよく分からない。
そもそも哲学とは何なのか。
AIにそれがあるのかないのか。
考え始めれば、いくらでも話は広がっていく。
でも、発言全体を聞いたあとでは、その次に出てきた言葉のほうが気になっている。
「イニシアチブは人間が持つべき」
人間がすべてを作る必要はない。
人間にしかできないことだけに価値があるわけでもない。
ただ、人間に向けて何かを伝えようとするなら、人間がその方向を決めることには意味がある。
今のところ私は、そう考えている。
もっとも。
私たちは本当に、楽曲そのものだけを聴いているのだろうか。
それとも、「誰が歌っているのか」という文脈まで含めて歌を聴いているのだろうか。
初音ミクが単なる「女性歌声ライブラリ」ではなく、「初音ミク」という名前を持っていたことまで考え始めると――
また話が長くなる。
それは、別の機会にしよう。
引用元および参考
・【全編ノーカット】さだまさし氏 記者会見 主催:日本外国特派員協会
「ニコニコニュースYouTube」チャンネルより2026/09/15 にライブ配信
https://www.youtube.com/live/h5DnIE7eE58?si=j7s4fhN6nJXZrqxI
・初音ミク が オリジナル曲を歌ってくれたよ『メルト』 – ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm1715919
・初音ミクオリジナル曲 「初音ミクの消失(LONG VERSION)」 – ニコニコ動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm2937784

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