ゲームメーカー・レベルファイブの代表を務める日野晃博氏が、公式情報番組の映像に生成AIを使用していたことを明らかにし、謝罪した。
【出典】KAI-YOU(カイユウ)
「レベルファイブ」代表が新作映像での生成AI使用を謝罪 「イナズマイレブン」等を開発するゲームメーカー — 2026.09.12 16:59
https://kai-you.net/article/96527
KAI-YOUの記事によれば、日野氏は「発表会を派手にしたい」という思いから、実験も兼ねて生成AIによる処理を組み込んだと説明している。
一方、ゲーム開発については、シナリオやキャラクターデザイン、基礎設定など、作品の魅力や個性に関わる部分は人の手で制作しており、生成AIは主に作業効率化のために利用しているという。また、「発売されるゲームに、安易なAI出力データが入ってることはありません」とも説明している。
このニュースを読んでいて、少し気になった。
生成AIを使ったことの何が問題なのだろう。
いや、もう少し正確に言おう。
「生成AIを使った」という一つの事実に、いくつもの別々の問題がまとめられてはいないだろうか。
ゲーム本編にAIを使うことと、ゲームが面白いこと
まず、「ゲーム本編には安易なAI出力データを使っていない」という説明について考えてみたい。
これは現在の生成AIに対する不安を考えれば、広報としては理解できる。
ただ、ゲーム本編に生成AIを使うこと自体が、ただちに問題なのかというと、私はそう単純ではないと思う。
ゲームには、キャラクターや物語だけでなく、膨大な処理が存在する。
たとえばボールがどのように飛ぶか。物体がどう動くか。大量のデータをどう処理するか。
そこにAIを使った結果、クリエイターの考えていたゲーム体験をより忠実に、より効率よく実現できるのであれば、それは制作手段の一つとして使えばいいのではないか。
逆に、人間だけで作ったからといって面白くなるわけでもない。
「ゲーム本編にAIを使ったか」という問題と、「そのゲームがクリエイターの意図した面白さを実現できているか」という問題は、同じではない。
AIで作った映像であることと、ゲームを正確に紹介していること
ただし、今回の発表映像については別の問題がある。
レベルファイブにとって主たる成果物はゲームである。
そして、新作発表映像を観るユーザーがもっとも知りたいのも、そのゲームがどんなものなのかということだろう。
そこで生成AIによる加工を行った結果、実際のゲームには存在しない動きや表現が加わり、ゲームそのものを正確に伝えられなくなっていたとしたらどうだろう。
それは問題になりうる。
ただし、その理由は「AIを使ったから」ではない。
商品を紹介する映像が、その商品を正確に紹介できていないからである。
実際のゲーム映像にCGで派手な演出を加えた場合でも、同じ問題は起こりうる。
生成AIを使ったかどうかという制作手法の問題と、広告や広報として情報を正確に伝えているかという問題は、分けて考えたほうがいい。
AIアバターとディープフェイク
発表映像では、日野氏自身をもとにしたAI生成と思われるアバターも登場している。
人物をAIで生成すると聞くと、ディープフェイクの問題を連想するかもしれない。
しかし、これも同じ問題として扱っていいのだろうか。
本人が自分の意思で、自分をモデルにしたAIアバターを演出として使用することと、第三者が本人の知らないところで映像を生成し、言ってもいないことを言わせることは、かなり違う。
重要なのは、「AIで本人そっくりの姿を作った」ということだけではない。
誰の意思によって作られ、誰の意思によって発言し、その発言について誰が責任を負っているのか。
本人によるAIアバターの利用と、第三者によるなりすましを混同すると、ディープフェイクの何が問題なのかまで見えにくくなる。
AIが既存作品を学習していることと、特定の表現を借りること
生成AIによる画像には、もう一つ大きな論点がある。
学習データの問題だ。
生成AIは大量の既存画像を学習している。その中にはクリエイターの著作物も含まれうる。
だから、そのようなAIで作った画像を企業が利用すること自体が不適切だ、という考え方もある。
この問題は当然検討されるべきだと思う。
ただ、それと個々の生成物が何を表現しているかという問題も、少し分けておきたい。
たとえば企業がもし仮に、
「この人物をジブリ風のキャラクターにしてください」
とAIに指示し、誰が見ても特定の作品やスタジオの表現を想起する画像を公式プロモーションに利用したとする。
この場合には、学習データ一般についての問題とは別に、特定の作家やブランドが築いてきた表現を、自社の魅力として意図的に借りているのではないかという問題が生じる。
一方で、特定の作家や作品というより、誰が見ても「生成AIっぽい」と分かるような一般的な画像について、同じ議論がそのまま成立するとは限らない。
モデルが何を学習したのかという問題と、利用者が何を指示し、実際にどんなものを生成して使ったのかという問題。
これも同じではない。
AIを使うことと、未公開データを外部に渡すこと
さらに、ゲーム開発では別方向の問題もある。
もし仮に、開発中のゲーム映像や未公開のキャラクターなどを外部の生成AIサービスに入力していたのだとしたら、それは適切なのだろうか。
入力したデータはどこに保存されるのか。
モデルの学習に使われるのか。
第三者に提供される可能性はないのか。
共同開発会社や外注先との契約上、そのデータを外部サービスに入力してよいのか。
これは生成AIに賛成するか反対するかという問題ではない。
企業の情報管理、セキュリティ、契約、コンプライアンスの問題である。
逆に、機密情報を扱える社内環境や適切な法人向けサービスを利用しているのであれば、評価は変わってくる。
「生成AIを使った」という事実と、「機密情報を適切に管理した」という問題も、やはり別である。
制作工程を省略することと、表現を失うこと
そして、もう一つ。
生成AIについて考えるとき、ジャンルによって事情がかなり違うことも忘れたくない。
たとえば絵画やイラストでは、何を描いたかだけが作品ではない。
一本の線をどう引いたか。
どんな筆を使い、どんな力で色を置いたか。
そうした制作工程そのものに、作者の思想や技術が現れることがある。
その工程をAIに置き換えれば、完成した画像が作者の頭に描いていたものに近かったとしても、その過程に存在していた表現を失う可能性がある。
一方、ゲームのすべての制作工程が、そのまま鑑賞対象になっているわけではない。
ボールの軌道を計算するプログラムを人間が一行ずつ書いたのか、AIの補助を使ったのか。
そこに作品の本質を感じる人は、それほど多くないだろう。
AIによる工程の自動化によって作者性が薄れる場合もあれば、技術的な制約が取り除かれることで、かえって作者のやりたかったことを忠実に実現できる場合もある。
「あらゆる制作工程をAIに任せること」と「作者性が失われること」も、必ずしもイコールではない。
「AIを使った」の、その先
ここまで考えてみて、私は生成AIの利用を肯定したいわけでも、否定したいわけでもない。
むしろ、そのどちらかを決める前に、問題を少し分けて考えたほうがいいのではないかと思っている。
ゲームにAIを使ったこと。
ゲームを正確に紹介できていること。
本人のアバターを生成すること。
第三者になりすますこと。
既存著作物を学習すること。
特定の作家の表現に依拠すること。
開発中の素材を外部サービスに入力すること。
制作工程を自動化すること。
どれも生成AIという技術を介して起こりうる。
しかし、同じ問題ではない。
「生成AIを使った」
その一文だけでは、まだ何も分からない。
何に使ったのか。
どう使ったのか。
その結果として何が生まれたのか。
そして、実際に何が問題になったのか。
生成AIについて何かを判断するのは、それを切り分けてからでも遅くないと思う。

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