『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』には、「代筆屋」という仕事が登場する。
依頼人の代わりに手紙を書く仕事だ。
代筆と聞くと、本人が考えた内容を、文章の得意な誰かが整える仕事を思い浮かべるかもしれない。
けれど、あの作品で描かれる代筆は、もう少し複雑だ。
依頼人自身が、何を書けばいいのかわかっていないことがある。
何かを伝えたい。
でも、それが何なのか、自分でもまだうまく言えない。
そこで代筆者は話を聞く。
誰に宛てた手紙なのか。
その人と何があったのか。
何を伝えたいのか。
なぜそれを伝えたいのか。
会話を重ねるうちに、依頼人の中でも曖昧だったものが少しずつ形を持ちはじめる。
つまり代筆者の仕事は、すでに存在している文章を文字に起こすことだけではない。
まだ文章になっていないものを、一緒に探す仕事でもある。
ここで、生成AIによる文章作成のことを考えてみる。
AIに文章を書かせることについては、よく「本人が書いたのか、AIが書いたのか」という話になる。
これはもちろん大事な問いだと思う。
文章の責任が誰にあるのか。
本人の能力を測る場面で使ってよいのか。
AIを使ったことを明示すべきなのか。
そういう問題はいくらでもある。
ただ、その少し手前に、もうひとつ別の問いがある気がする。
そもそも、その人はなぜAIに文章を書かせようとしたのか。
たとえば、頭の中にはすでに完成した文章があって、それを整った日本語に直してほしいだけなのか。
それとも、何となく考えていることはあるけれど、まだ自分でも論点がわからないのか。
AIに話してみて、
「そこではない」
「それは言いたくない」
「その部分は残したい」
「もう少しこっちを考えたい」
とやり取りを重ねながら、そもそも何を書きたいのかを決めていくのか。
この二つは、どちらも最終的には「AIが文章を生成した」と説明できる。
けれど、起きていることはかなり違う。
後者では、完成した指示をAIに渡しているわけではない。
対話の途中で、依頼内容そのものが変化している。
場合によっては、「私は本当はこれを言いたかったのかもしれない」ということが、そのやり取りの中ではじめて見えてくる。
そう考えると、生成された文章を「人間が考えて、AIが書いた」ときれいに二分することも、少し難しくなる。
もちろん、ここで人間の代筆者と生成AIを同じものとして扱うことはできない。
ヴァイオレットは人間である。
彼女には人生があり、経験があり、他者との出会いがある。
誰かの言葉を聞いたとき、それまで自分が経験してきたことが、その言葉の受け取り方に影響する。
何を重要だと感じるか。
どこに違和感を持つか。
どんな言葉を選ぶか。
代筆者は、透明な筆記装置ではない。
だからこそ、同じ依頼人の話を聞いても、別の代筆者なら別の文章を書くかもしれない。
さらに同じ依頼人から何度も仕事を受ければ、
「この人はこういうとき、本当はこういうことを気にしている」
という勘所も生まれるだろう。
生成AIにも、これと構造上似て見える部分はある。
会話の文脈によって返答は変わる。
与えられた情報によって、何を重要な論点として扱うかも変わる。
継続的に使われる仕組みであれば、過去のやり取りやユーザーごとの設定が応答に影響することもある。
ただし、それをそのまま人間の経験や人格と呼ぶことはできない。
AIが人間のように人生を生きてきたわけではないし、人間と同じ意味で感情を持っていると仮定する必要もない。
ここで面白いのは、両者が同じ存在だからではなく、違う存在なのに「他者の言葉を形にする」という場面で似た構図が現れることだと思う。
では、その違いを踏まえたうえで、もっと身近な文章を考えてみたい。
誰か大切な人に手紙を書く。
伝えたいことはある。
でも、うまく言葉にできない。
そこで生成AIに相談する。
その人との思い出を話す。
何が嬉しかったのか。
何に感謝しているのか。
本当は何を謝りたいのか。
これからどうしたいのか。
AIが文章を提案する。
読んでみる。
「これは違う」と思う。
消す。
別の表現を出してもらう。
「ここは残したい」と思う。
また話す。
書き直す。
そうして何度も往復した末に、一通の手紙ができる。
文章そのものを生成したのはAIかもしれない。
けれど、その時間の大半で、依頼した人は手紙の相手について考えている。
思い出している。
言葉を選んでいる。
違うものを退けている。
残したいものを決めている。
その手紙を見て、
「AIが書いたのだから、心はこもっていない」
と言うことはできるのだろうか。
反対に、自分の手で最初から最後まで書いたというだけで、
「これは心のこもった手紙だ」
と言えるのだろうか。
もちろん、受け取る側がどう感じるかという問題もある。
送り手にとっては何時間も悩んだ手紙でも、受け取った側がAI生成だと知った瞬間に、何かを失ったように感じるかもしれない。
逆に、その文章がどう作られたかを知らなくても、そこに自分との具体的な記憶や、相手にしかわからない言葉があれば、強く心を動かされることもあるだろう。
送り手が「心を込めた」と感じる条件と、受け手が「心がこもっている」と感じる条件は、たぶん同じではない。
だから、この話を単純に「AI代筆はありか、なしか」で終わらせるのは少し惜しい。
気になるのは、もっと手前のところだ。
手紙に心がこもるとしたら、それはどこなのか。
自分の手で文字を書くことなのか。
文章を自分だけで考えることなのか。
相手について長く考えることなのか。
言葉を選ぶことなのか。
提案された言葉の中から、これは違う、これは残したいと判断することなのか。
それとも、そのすべてとは別のどこかなのか。
誰かへの手紙をAIが自動生成するとき、心がこもっていることを定義するのは、いったいどの過程なんだろう。
答え合わせ
代筆屋A:Claude
代筆屋B:ChatCPT
でした。みなさんはわかったでしょうか。

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